2026年8月、フランス・シャモニーで開催されたHOKA UTMB Mont-Blanc。今年も無事に終え Threads / X などのソーシャルメディア上では話題になっていた。そういえば、日本人が、2010年代 に鏑木氏、丹羽氏、小原氏などの有力選手が入賞したのを最後に、表彰台をおろか、上位10位に入った記憶がない。
また、ソーシャルメディア上の投稿の中には、「日本人ランナーが世界で全く歯が立たなくなった」といった厳しいコメントも散見されたため、本来アジア中心の記事を書いている当サイトだが、今回は UTMB について深堀りしていきたいと思う。
本記事では全リザルトの総まとめに加え、UTMB Indexのデータから見える日本人と世界の構造的な差を分析する。
UTMB 2026 リザルト
まずは、2026年のUTMB本戦のリザルトから。
UTMB(100マイル)では、悪天候による2時間のスタート延期とコース変更を経て、男子では、Ben Dhiman(USA)が18時間16分29秒の史上最速タイムで制した。 トップ3全員が19時間を切り、トップ10全員がサブ20という高速決着。ただしコース変更のため公認記録にはならない。
また、女子では、Blandine L’Hirondel(FRA)が21時間54分49秒で女子史上初の22時間切り。 OCC(2021)→CCC(2022)→UTMB(2026)の3レース完全制覇(Ruth Croft以来2人目)。
日本人の有力選手である「小原将寿」と「伊東ありか」は途中棄権。
なお、今回日本人トップである吉村健佑氏はプロトレイルランナーではなく、彼よりIndexの高い日本人ランナーが別に存在する。また有力選手がスケジュール上の都合で不出場、あるいはDNFとなったケースもあるため、この順位をもって「日本のトレイルランニングが弱まった」と評価するのは早計である。
CCC(100km)— 秋山穂乃果が女子7位入賞
データで見る「日本人が勝てない」構造
日本人のUTMBトップ10入り 全記録
2009年以降、UTMB本戦でトップ10入りした日本人は:
男子: 鏑木毅(3回)+ 横山峰広/小原将寿/山本健一 = 4人・6回
女子: 丹羽薫(2回)= 1人・2回
「レースの高速化で日本人が表彰台に立てなくなった」と言われるが、データはそれを支持しない。 2009年当時の優勝タイム21:33(Jornet)も当時としては驚異的だった。問題は、2009年にはトップ10に3人もいた日本人男子ランナーの層が、現在は一人もいないという「層の厚さの喪失」にある。
UTMB Index 比較:欧米・中国・日本の3層構造
UTMB Index(UTMBインデックス)はITRAパフォーマンス指数と同様にトレイルランナーの走力を0〜1000点で表す指標だが、両組織の分離に伴い現在は計算ロジックが独立している。ITRAスコアの方がやや高めに出る傾向がある。
以下の数値は2026年8月末時点の各選手のUTMB Index(最長距離カテゴリ/概算)であり、レース結果の更新に伴い変動する。
欧米トップ(男子) Dhiman(USA) ~945, Minoggio(ITA) ~943
欧米トップ(女子) Schide(USA) 864(女子世界1位)
中国トップ(男子) 蒙光富(CHN) ~934, Ji Duo(CHN) ~923, 申加升(CHN) ~903
日本人最高(男子) 上田瑠偉(JPN) ~897(ただし100マイル出走歴なし)
→ 実質的な100マイル代表:吉村健佑(JPN) 783
完全な3層構造:
欧米トップ(男子) Index 930-950台 — 世界最前線
欧米トップ(女子) Index 860台 — Schideが864で女子トップ
中国トップ(男子) Index 900-930台 — 急速に追い上げ
日本(男子) Index 780-900 — 欧米トップと150ポイント以上の差
中国人男子ランナー(申加升903、鄧国敏896)は日本人よりIndexで100ポイント以上高い。日本と中国の差も大きい。
中国勢の台頭は近年めざましく、アジアでは最強といっても過言ではないだろう。トップ選手層の厚さは、14億人の人民のなかから生まれる。
決して日本人が弱いわけではなく、世界的にも上位に君臨する国であり、アジアでも中国に次いで2番目であることは UTMB Index や ITRA ランキングを見ても間違いないだろう。ただ、中国という厚い壁が出来たということは間違いないだろう。
🧩 なぜ日本人選手が育たないのか — 3つの構造的要因
1. 「個人商店型」 vs 「組織型チーム」の決定的な差
日本のプロトレイルランナーと海外のプロとの最大の違いは契約構造にある。
日本: 選手が複数の個人スポンサーと個別契約。マネージャー不在、チームなし、遠征計画も自己責任。
海外: ブランドチームが専任マネージャー・コーチ・理学療法士・栄養士を揃え、年間遠征スケジュールを戦略的に策定。若手育成プログラムも完備(SalomonのPro Team / Next Gen / Performance Programmeの3段階階層制など)。
近年欧米および中国を中心に、ブランドプロチームを結成している。これは、いわばサッカーの欧州リーグや、野球の米国メジャーリーグのプロチームの契約の仕方とよく似ている。
海外のプロチームは、いわば「大谷翔平」のような有望な選手を世界中から集めて、育てて、そしてブランド価値も向上させるといった戦略を取っている。ここには優秀なスタッフ陣も備え、そして活動するための資金も提供される。
「組織化されたチーム」 vs「 個人商店」だとどうしても前者のほうが圧倒的有利なのは間違いないだろう。
Asicsは世界のトップ3ブランドチームでありながら、そのトレイル戦略は欧州法人が担い、日本法人はロード事業に集中している。結果として日本人ランナーはAsicsのグローバルチームに入るルートも閉ざされている。
2. 中国資本の「逆張り戦略」— Kailas FUGA のケース
Kailas FUGA Team 2026は16カ国・30人以上の国際チーム。
CCC優勝のMinoggio(伊)、UTMB5位のLopez(エクアドル)、そして日本人の中谷亮太(Index 820)と吉住友里(Index742)が所属している。
通常のマーケティングロジックでは「販路がない国に選手を抱えるのは非合理」だが、Kailasの戦略は異なる:
ブランドの正統性 — 日本人選手がいることで「グローバルブランド」へ格上げ
製品テスト — 日本の急峻なトレイルはプロトタイプテストに最適
将来の市場開拓の布石
中国国内向けPR — 「日本人トップ選手も惹きつけるブランド」
重要なのは、Kailasは非上場・無借金・創業者100%所有の独立企業であること。
外部資金調達ゼロで、四半期プレッシャーもない。創業者の鍾承湛氏は「過去、キャッシュフローに困ったことは一度もない」と語っている。よって、長期的な視点で投資ができ、そしてブランドを構築されている。近年、アジア地域内のレースでも、Kailas Fuga のウェアやシューズを来たトレイルランナーをよく目にするようになった。
これは中国の安踏体育(アンタスポーツ)傘下のArc’teryxや、上場企業のAsics・Nikeとは根本的に異なる資本構造だ。
3. 海外遠征頻度の差が競争力の差に
UTMB本戦で上位に立つには欧州の地形・気候・コース特性に慣れておくことが極めて重要であり、その点で積極的に欧州遠征を行う中国人ランナーは有利な立場にある。一方、日本人は国内レース中心で、海外遠征の頻度が少ない構造的な課題がある。
これは、チームやブランドによる支援が少ないことに加えて、近年の円安や諸外国での物価高騰、また予測できない世界情勢(イラン情勢、ウクライナ情勢など)もあって、気軽に欧州遠征が難しくなっている実情もあるのかもしれない。
未来へのシナリオ — どうすれば変わるのか
さて、日本人ランナーが再び世界の頂点に立つにはどうすればよいのだろうか。残念ながら、日本国内には海外のようにプロチームは存在しない。
そこで、簡単にいうとポテンシャルのある若手選手を海外に送り込むというのが一つの現実的な解ではと私は考える。
これは、サッカー日本代表の歩みと重なる。1998年W杯初出場時、海外所属選手はわずか2名だったが、欧州リーグで揉まれることでドイツやスペインと互角以上に戦えるまでに成長した。トレイルランニングも同じだ。
シナリオA(欧米チーム所属): 秋山穂乃果はHoka所属でCCC女子7位入賞。このルートを増やすには日本人ランナーと欧米ブランドの間をつなぐブローカー機能が不可欠だが、現時点でその役割を担える人材・組織は日本に存在しない。
シナリオB(中国チーム所属): 日本→中国3-4時間の地理的近さが強み。Kailasは日本に販路を持たないにもかかわらず日本人選手を抱えており、欧米チームよりハードルの低い海外所属ルートとして機能し始めている。
シナリオC(実業団モデル): 2024年8月、ITRAは2032年ブリスベン五輪での正式種目採用を目指すと公式声明。五輪種目になればJAAFの管轄下で強化指定制度が動く可能性がある。ただし過度な期待は禁物。トライアスロン・スポーツクライミングの事例を見る限り、自動的に実業団ができるわけではない。
上に書いたシナリオA・Bに記載した例以外にも、海外プロチームに所属している日本人選手は増えてきている。この動きは、ここ1〜2年ぐらいから見られている現象であり、今後もこれは加速されると考えられる。
🏁 結論
日本のトレイルランニングは、鏑木毅が2009年に打ち立てた3位が、17年経った今もなお日本人最高位として君臨し続ける。それは偉大な金字塔であると同時に、その後を継ぐ選手が現れていない現実を突きつけている。
問題は「才能がない」ことではない。秋山穂乃果のCCC女子7位入賞、中谷亮太の国内100マイル優勝は潜在力の証だ。問題は 「才能を世界基準に育て上げるシステム」が日本に存在しないことにある。
日本に残された選択肢は一つではない:
短期的:海外チームにランナーを送り出す「ブローカー機能」の構築
中期的:日本に拠点を置きながらグローバルチームに所属する「第三の道」の確立(中谷・秋山モデルの拡大)
長期的:五輪種目化を追い風に、実業団モデルの応用
日本トレイルランニングの「空白の期間」を取り戻すには、個人商店型モデルからの脱却が不可欠だ。鏑木毅が成し遂げた「奇跡」を、次は「システム」として再現できるかどうかが、これからの10年の問いになる。
※ 本記事に記載されている UTMB Index は2026年8月末時点のものです







